History Area
line
竹帛

歴史壱 / Ancient

越南史

line

ヴェトナムの歴史です。古代と伝説編。
考古学は現在動きが激しいようで、大雑把なことしか判りませんでした。


line

dot 銅鼓と桶

ベトナムでは紀元前二万年以上前からソンビ文化・ホアビン文化・バクソン文化などの石器文化を発達させていました。次の青銅器文化であるドンソン文化の時代へ至り、中国南部から広範囲な文化圏を形成します。ドンソン文化は青銅製の銅鼓や靴型の斧が特徴で、雲南から中央アジア、そしてスキタイにまでその淵源をさかのぼれるといいます。最近では、三星堆文化との関係も可能性として指摘されています。
中国南部に居住していた民族が紅河(ホンハ、現ソンコイ河)デルタ下流域に南下し、原住の諸民族と混合してベトナム民族を形成したと言われています(異説あり)。銅鼓という楽器は古代ではそこそこポピュラーな楽器であり、桶で反響を調節してドンドンボワンボワンという結構賑々しい音を出していたそうで。また現在でも雲南や広西・広東の一部の少数民族のお祭りで「諸葛孔明が南征したときに残していったものだよー」と実際で使用されているとのこと。


line

dot 50人×2=ベトナム人?

古代はまた伝説の時代でもあります。主として『大越史記全書』の鴻厖(ホンバン)紀に記録されており、民間伝承も数多く語り継がれているそうです。鴻厖紀の記述は民族的伝説と中国の歴史・伝説の混合であり、後代に付け足されたものとみられています。
炎帝神農氏の子孫で南へ封じられた陽王(キンズォンヴォン)の神話は中国王朝との同格意識を示し、それぞれ五十人づつの子供達を連れて山丘と水辺へ分かれていった貉竜君(ラクロングン、陽王と女神竜の息子)と嫗姫(アウコ)の神話は山と水の対立・協調の説話とされています。特に後者の神話は近代以降、ベトナムの中核をなす京(キン)族と山間諸民族との協調政策に大いに利用されました。つまり『もとは同族だよ☆ だからゲリラに協力してね☆』ってことですね。
民話では離婚後の貉竜君は残された五十個の卵を孵すために、海へ袋に入れた卵を放り込むという実に大雑把な方法を採ったそうです。


line

dot 螺旋の城

貉竜君の子孫は代々雄王(フンヴォン)と名乗り、文郎国(ヴァンラン)を治めました。陽王を含めて2622年続いて(伝説だから‥‥‥)、その後「蜀」の王が雄王を滅ぼして安陽王(アンズォンヴォン)となりました。
一応ここらへん辺りから歴史上に記録の残る遺跡が発掘されています。安陽王の拠点、今の古螺(コロア、ハノイ近郊)にある螺城(ラタイン)の遺跡とかですね。螺城は《螺(巻き貝)のような城》と実に安直(笑)な命名をされてますが、遺跡もそう見えなくもないか、な? 別名思龍城、唐代では崑崙城と言われたそうです。なんか妙に意味深な命名かも。


line

dot 亀の爪

螺城に拠った安陽最後の王は、秦末期のどさくさに紛れて自立した南越の趙佗(チェウダ)の軍勢を退けました。そのひ・み・つ(死語)は河のぬし金亀の爪で造った弩『霊光金爪神弩』でありまして、雄王時代の伶人(楽人)の霊威を封じ、一度弩を射れば万人が倒せるすごい武器(誰だ、宝貝だと思った人は。笑)。これを壊さなければ城が落とせない。そこで趙佗は一計を案じ、やっと螺城を陥落させたのです。その一計とは息子を人質に出して安陽王の愛娘三女に婿入りさせ、彼女をそそのかして神弩のありかを探り、密かに壊させたというもの。息子を帰国させた後、趙佗は安陽王を敗走させ、その地を併せました。


line

dot 後悔後に立たず

ここに哀話が生まれます。娘の名を媚珠(ミチャウ)といい、彼女は父を裏切った事を珠玉となることで恥を雪ごうと言って父に斬られ、その血は貝に入り真珠となりました。その後、金亀に導かれ、安陽王は呪符の力をかりて海の中へと入っていったといいます。息子は安陽王父娘を追ってきたが、媚珠が死んだのを知って「其の尸(しかばね)を抱きて慟哭し」、螺城へ帰って彼女を葬った後も「媚珠を懐惜し」て「竟(つい)に身を井底に投じて死」んだそうです。こうなるの分かっていそうなものなのですが、そこは神話の醍醐味(?)なのでしょう。
中国側の史書ではこの息子仲始(チュントゥイ)というのですが、影も形も見当たりません。ベトナムの伝説オンリーの登場人物らしいですね。この神話に出てくる『神弩』のパターンは凡そ七百八十年後の中国南北朝時代の逸話にもう一度出て来ます。


line

dot 南越≠越南

趙佗の次に南越の王位を継いだのは文帝趙ベツでした。彼の陵墓は二十年ほど前に発掘され、数年前に日本でも「文帝行璽」金印・糸縷玉衣などが紹介されています。
さて、この南越国も長くは続きません。帝号を称したものの内紛に乗じた前漢の武帝に出兵されて滅ぼされてしまいました。以後ベトナムは長い中国の支配下に置かれることとなります。


line
dot Top
dot History Area Top