主張ありき系。ただし、どこかで客観的にならないとね。
『史上最悪のインフルエンザ』
『岩波講座世界歴史11 中央ユーラシアの統合』
『クビライの挑戦』
『女と男の時空 日本女性史再考I ヒメとヒコの時代』
『史上最悪のインフルエンザ』 |
アルフレッド・W・クロスビー / みすず書房
--- あの黙示録的光景を繰り返さないために ---
1918年に世界で2000万人以上の死者を出したA型インフルエンザをテーマにした医学史の本です。第一次世界大戦に参戦したアメリカでの発生からパンデミック(爆発的流行)の経過、各地の惨状と対策、そして終息後のインフルエンザ研究のプロセスを網羅的に紹介しています。この数年の鳥インフルエンザの流行に便乗した本ではないのですが(どちらかといえば作者はSARSの方を意識していたようだ)、丁度出版時期と一致したのがなんとも奇遇。
このインフルエンザがどうしてあれほど流行し、死者が発生したのか、という疑問に対する著者の答えは明快。挙げられた大量の事例からも読者は容易に判断できます。当時のアメリカ社会が疾病に対してあまりにも無防備だった、と。この本は知識がないことの恐ろしさと同時に、流行時の対策が時間との競争であることを教えてくれます。
『岩波講座世界歴史11 中央ユーラシアの統合』 |
岩波書店
--- 行間が燃えている‥‥‥ ---
今回の岩波講座世界歴史シリーズははっきり言って私は全巻そろえたい! 内外の論文・資料を取り込み、フィールドワークや二次大戦後の様々な歴史学の洗礼を受けた、ちょうど脂ののりきった世代を編集委員にそろえているのだ。
で、この本はその中の一冊。辺境としてではなく、ひとつの歴史世界として中央ユーラシアをとらえようという試み。モンゴルをはじめとする遊牧民の諸国家を近代の淵源のひとつとする主張は説得力に富む。
たいていのモンゴル好きの方々は中国の文献しか読みませんし、それしか書店では手に入らないのですからイスラームやロシアの文献が頻出するこの本は難しく思えるでしょう。しかし、要は慣れです。そして、とにかく筆者達が既成の歴史観に挑戦しようと燃えている。必見です。
『クビライの挑戦』 |
杉山正明 / 朝日新聞社
--- 行間が焦げている ---
モンゴル帝国及びクビライの統治について書かれた、文句なしに面白い本です。批判なしにまかり通る"歴史的常識"にとらわれていた、今までの一面的な事物の見方を批判し、歴史事実そのものを見よという筆者の主張にも賛成できます。
けれども、この方の一般向けモンゴル史の本は非常に危ういのも確か。この本ではその傾向はやや抑えられていますが、他の著書での筆者の"歴史的常識"に対する(義憤に駆られた?)感情的な言葉の多用は、読む側に"歴史的常識"、そして、それを確立してきた他の専門分野に対して嫌悪を植え付けます。
確かにこの批判は妥当なものなのです。しかし問題なのは、他分野内部での"歴史的常識"に対する批判的アプローチを無視したうえで、「この分野の"歴史的常識"とはこれこれこういうものである。しかし‥‥」と批判している部分があるのです。これでは他分野がなにも自省していないように見えてしまうでしょう。
批判が妥当で説得力のあるこの著書は、この事情を知らない読み手の一部が"これは絶対正しい本"だと認識する危険を常に孕んでいるのです。つまり、西洋史至上主義・中国史至上主義を言葉だけ置き換えたモンゴル史至上主義を誕生させる可能性の存在です。
著者がこれら一般向けモンゴル史解説で読者に示そうとした、イデオロギーや先入観に左右されることない歴史事実の探求は、ここで大きく変質するリスクを背負っているのです。
この"歴史的常識"をめぐるモンゴル史研究の問題は、自己称揚のための他者創出のため、政治的に利用されてきた各分野の歴史研究の問題であり、まさにオリエンタリズムの問題に端を発しています。それだけに、私はイブン・サイードが『オリエンタリズム』で述べているこの言葉を思い出さざるを得ません。西洋が東洋に抱き、今もなお抱いている様式的な「東洋」観とその思想を必要とした政治・社会体制を分析した上で、このように結論しているのです。
わけても、私が読者に理解していただけたことを願っているのは、オリエンタリズムに対する解答がオクシデンタリズムではない、ということである。かつての「東洋人」は、自分が以前東洋人であったから容易に――あまりに容易に――自分のつくり出す新たな「東洋人」――つまり「西洋人」――を研究できるのだと考えても、なんの気休めにもならないだろう。
(『オリエンタリズム』、平凡社ライブラリ版、今沢紀子訳、286-7頁。なお、訳者は更に、西洋オリエンタリズムを摂取した日本人の東洋観についても言及している)
ところで、著者はウォーラーステインの提唱した西欧による資本収奪のからくりとしての"近代世界システム"と、経済圏としての"世界システム"を区別していないような気がするのですが‥‥私の気のせい?(この混乱に関しては一を以て十を説明しようとするかのような"世界システム"概念の濫用が根本的な原因なんですけれどね。この動きも著者が書く以前から批判が始まっているみたい)
なお、「モンゴル海上帝国への道」というサブタイトルそのままの内容です。モンゴル海上帝国への過程を書きながら、モンゴル海上帝国そのものについては案外薄い。
ついでに、このモンゴル海上帝国論を承けて書かれたのが『岩波講座 東南アジア史 2』総説(執筆は石澤良昭)の18-20頁。東南アジア史側からのモンゴル史へのアプローチを含んでいますので、図らずも両者の解釈の違いが浮き出ています、興味があればご一読を。
『女と男の時空 日本女性史再考I ヒメとヒコの時代』 ――― 原始・古代 ――― |
藤原書店
--- 神田古本祭ワゴンセールの戦利品 ---
千円だから買ったけれど、定価の五千五百円だったら私は買わなかったでしょう。ただ、きちんと読めば日本社会の基層部分に関わる知識と概念が得られます。少しウェットな文章の著者もいますが、気にするほどでもなし、自分の興味がある分野から読んでいけば良いと思う。
私は参考書として推理小説ですが京極夏彦の『絡新婦の理』をお奨めします。このシリーズは様々な学問の良い参考書なんですね。まず作品中の諸用語を理解しないと『妖怪』シリーズ巻末の参考文献はまず読めない。個人的に大変役に立ったのは禅宗参考書『鉄鼠の檻』です。もう、目からうろこが落ちました。
このシリーズが一冊につき上下巻構成、A5版で再刊行され始めました‥‥藤原書店、『地中海』で味をしめたな。(2000/07/30追加)
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