心性史や思想史。
ここらへんにハマると時代物が読めなくなったりします。
『ジャングル・クルーズにうってつけの日』
『ベナンダンティ』『完全言語の探求』
『中国神秘数字』『恋の中国文明史』
『ヨーロッパの食文化』『偽史冒険世界』
『ジャングル・クルーズにうってつけの日』 |
生井英考 / 筑摩書房
--- 魅惑(?)のホーおじさん ---
1章を読み終えるたびに章題を確かめる。その行為が内容の再確認となるような、素晴らしい表象感覚の発露といえる本です。ベトナム戦争を生み出した思想と文化、ベトナム戦争が生み出したイメージと文化について、黒人、映画、TV、近代化、ケネディ、ホー・チ・ミン、ジャーナリスト達からベレー帽に至るまで検討し、分析を加えた労作。特に戦争報道による、戦場映像への馴化と戦争体験の画一化についての考察にはぞくりとした興奮が味わえます。
どこかJ.G.バラードっぽいな、と思って読み進めていたら、作中でバラードとその戦争描写についても触れていました。虚構化することでリアルに戦争を書くバラードの作家性は、ベトナム戦争と相性がいいのでしょう。
『ベナンダンティ』 |
カルロ・ギンズブルグ / せりか書房
--- 変質してしまった祈り ---
中世の魔女狩りというと、どのようなイメージがありますか ? 悪魔崇拝、火炙り、それとも拷問 ?
1900年代後半になって、歴史学会では今までの類型的なイメージを覆す見解が多数提出されるようになりました。"魔女狩り"もそのひとつ。特にこの著作は、イタリアの田舎に中世を通じて連綿と伝えられてきた"ベナンダンティ"というユニークな存在を通じて、豊饒を願う民間信仰に基づく農耕儀礼が悪魔崇拝へと変貌させられてゆくプロセスを検討しています。その過程を辿ることで民衆の世界とキリスト教知識人の世界との深い谷間が読者の前に仄見えてきますが、これは同時に(作者自身が認め、注意を促しているように)「階層の対立」という作者の意図を色濃く繁栄した構成でもあります。
私としては、中世イタリアの政治と宗教が影響を及ぼし合う裁判事情、年単位のゆったりした進行が意外な発見でした。特にうわさ話や密告、中傷による異端審問を審問官なりに冷静に見極めて進めようとする姿勢は従来のイメージを払拭するものです。
『完全言語の探求』 |
ウンベルト・エーコ / 平凡社
--- 特異な思想史 ---
「バベルの塔以前、人はいかなる言語を話していたのか」という古代からキリスト教世界で連綿と受け継がれてきた命題。
御存知『薔薇の名前』『フーコーの振り子』等の著者が本業の記号論から「バベル以後」の命題追求と思想の変転の歴史をひもといている。簡単に言うと、ユダヤ教から中世錬金術、おびただしい人造言語、フランスの百科事典派、そして現在のコンピューター言語に至るまで言葉と事物の関係性をどのようにとらえてきたかを追っている本。はっきり言ってマニアックな知識が増えます。
『バベル以後』というタイトルを他の学者に先に使われてしまったのでこのタイトルになったというのはご愛敬。
『中国神秘数字』 |
葉舒憲、田大憲 / 青土社
--- 一見トンデモ系 ---
タイトルはアレですが、どうしてどうして充実した本です。ヨーロッパのこの手の本はオカルトから学術書まで山のように翻訳されていますが、中国のものは日本ではなかなか翻訳出版されませんでした。それがようやく登場。
数に秘められたシンボルや意味を中国の膨大な文献を通じて解析してゆく、地道で手堅い手法には好感が持てる(けだし多少飽きる)。しかも、著者達の偉いところは中国の文献学的な成果はもとより、ヨーロッパの研究も参照し、国内少数民族や世界各国の民俗学的なアプローチをも見事に消化していること。ここまでやるのが専門書の理想でしょう。
一読に値する本です。敢えて買えとは言いませんが。
『恋の中国文明史』 |
張競 / 筑摩書房
--- 中国の「恋」 ---
男女の恋というやつは人類の歴史始まって以来つきまとっている不治の病です。で、いわゆる漢民族内で恋の対象や表現手段がどう変遷してきたかを明らかにしてきた本。
最後の総論がうまくまとまっていないという欠点はありますが、参考になります。
『ヨーロッパの食文化』 |
マッシモ・モンタナーリ / 平凡社
--- もの喰う人々 ---
はて、ヨーロッパの食文化とはどんな変遷を経てきて、どんな特徴があるの? という疑問に答える本です。ヨーロッパ古代で繰り広げられた地中海世界の食文化と北方食文化のせめぎ合いと融合、そして社会階層と食生活の連携、白パンに対する執着が示す都市の発展など、食文化と歴史の関わりを分かり易く紹介している。
この本の短所は、やや紙数が足りず駆け足に終わっていることである。近代以降の食生活の激変をテーマ別の概説という形でしか示せなかったのが残念。もっとも、概説であっても作者の言いたいことはよく理解できるが。
「大変豊かな社会においてのみ、貧しさを評価することが許されるのである。」いう一文が個人的に印象に残っている。否定でも肯定でもない事実の指摘だけに、この言葉は重かった。
『偽史冒険世界』 |
長山靖生 / 筑摩書房
--- ナンジャラホイな思想史 ---
源義経=ジンギスカン説、ムー大陸、日本ユダヤ同祖説等、数々の偽史の系譜と成立過程を面白ーく語った本。
作者はオウム事件等に触発されて書いたそう。同時に、この偽史を成立させた日本人の世界認識の問題は最近の教科書問題にも通じるものがあるようで、2001年に文庫として復活しました。同じ作者による『人は何故歴史を偽造するのか』(新潮社)も参考になるでしょう。
世間に阻害された、正当に評価されていないと感じる人間が、自己の優越性を確認するためにすがったのがこれら偽史だった。その切なさにほろりとし、その情けなさに怒り、そのおバカさを笑ってあげましょう。難しいことは抜きにしても、なんじゃそりゃー!?な珍説・奇説がいっぱいです(ついでに作者のトンデモへの愛もじわりと滲みてきます)。
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